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Destination Station of a Dream
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今日我われは知っている。
愛の反対は憎しみではない。
無関心である。
信頼の反対は傲慢ではない。
無関心である。
文化の反対は無知ではない。
無関心である。
芸術の反対は醜さではない。
無関心である。
平和の反対は、平和と戦争に対する無関心である。
無関心が悪なのである。
無関心は精神の牢獄であり、我われの魂の辱めなのだ。
人々の無関心は常に攻撃者の利益になることを忘れてはいけない。
エリ・ヴィーゼル(ヴィーゼル・エリエーゼル)
ノーベル平和賞受賞者・ボストン大学教授・ユダヤ人アメリカ作家
こんにちは、サヤキです。今回のあとがきはこの言葉からはじめます。
ずっと私が誤解していたのは、もの書きである以上「思想」からは誰も
逃れる事はできない、そう思っていました。
残念な事に、今はその考えが揺らいでいました。
「言葉」とは、伝達手段です。相手に伝える為にあるものです。
言葉を受ける人がそれをどう感じるか、それ無くしてモノは書けない。
そう思っていました。
ヴィーゼルさんは、ホロコースト(国家等の組織的大量虐殺)を受けた方です。
その体験を現在の思想に昇華させ今日に至ったと推測されます。
反論する人も含め、多くの人にとってその言葉が重いのは、それが理由です。
思想無き軽い言葉が氾濫していると、嘆くつもりはありません。
伝える事を意識せず、受ける人の事を考えない「言葉」が氾濫していると嘆く
つもりもありません。
感情を切り取るだけの文があってもかまわないと思っています。
その方がより多くの人の共感を得る事があるのも知っています。
私のこの作風は、どうすれば論文や小説にするような密度の濃い内容を、軽く
数分で誰もが読めるように出来るか、を模索して辿り着いたものです。
そして今回の作品は、実は凄く深い物を切り取って描いています。
ただ、「ものを書くとはいったい何だろう」とずっと考えながら書いていました。
「言葉」とはいったい何なんだろう、と悩みながら書いていました。
その考え悩んだ結果は、非常にシンプルなものでした。
私はこれまで通り、思想「思い想像する事」と言葉「伝える事」をあきらめない。
それでいいのだと、今では思っています。
上にご紹介したものの、全ての敵「無関心」を振り向かせる力が
「言葉」にはあると信じて。
写真提供:GATAG 著作者:Fleeting Glimpse
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2014/02/02 詩 劇:広義の詩的形式の劇 Comment(0)
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